Tony One Chopper 178

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:: Tony's Column 2005 ::

2003 2004 2005

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2005 / 01-01:はじめて 02-01:流れ 02-02:電力 03-01:人間五十年 03-02:バイブレーション

 04-01:裸の王様と毒水の話 05-01:終わらない話 09-01:誰がための音楽か 11-01:嫌いな人

 12-01:サンタクロースは実在する!?

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サンタクロースは実在する!?

2005.12

いつからクリスマスは恋人達のものになってしまったんだろうね?本当のクリスマスは家族や子供達のものだと僕
は思います。さてこの季節になると世界中のいたる国で子供達がパパやママにお馴染みの質問をこりもせずにぶつ
ける。「サンタクロースは本当にいてるの?」ってね。まぁ通常のパパママなら「いるわよ〜」なんて適当にあし
らってしまうでしょう。しかし1ランク上のパパになれる解答が実は存在してるんすよ。今年は多忙が故というか
なかなかコラムを書く程の時間もとれず、あまりコラムが書けませんでしたが、2005年最後のコラムは「サン
タクロースは本当にいてるのか?」というのをクローズアップしていこうかなと思います。さてさて1ランク上の
パパママになりたいアナタは子供達にこう答えてあげよう。「サンタクロースは本当にいるさ!だって毎年、米軍
とカナダ軍が合同でサンタを追跡してるんだぜ!」とね。子供にしてみりゃこれはもうかなり衝撃的だと思います
よ。「あの軍事大国アメリカが!?」って具合で。2ケ国合同で彼らのもつ軍事技術を結集、駆使して、サンタク
ロースが世界中の子供達にプレゼントを配ってまわってる実体を毎年調査しています。これほんまです。詳しくは
NORAD「サンタ追跡プログラム」を見て下さい。このミッションは上の2ケ国が共同でやってる「NORAD
/ノーラッド(北米航空宇宙防衛指令部)」という組織がおこなってるもので、この組織ふだんは敵国からのミサ
イル攻撃など空からの攻撃を監視とかしているとこらしいんやけど、どういう訳なのかこの季節だけサンタクロー
スを追跡しちゃってます。しかもすでに今年で51年目!今ではインターネットで世界中に追跡が公開されていま
す。サンタなんか追跡して防衛の役に立つのか?という疑問はさておき、こんなことに監視衛星や探察機まで動員
できる夢のあるアメリカやカナダの軍人さんが僕は大好きやね。サイトは日本からでももちろん見られます。ただ
単に「欲しいオモチャがもらえる日」だなんて夢のない子供が増えている昨今、今年のクリスマスはぜひ子供達と
いっしょにサンタクロースを追跡してみてはいかがでしょうか?


嫌いな人

2005.11

誰にでも殺したいほど嫌いな人はいるでしょう。僕にもいる。しかし夏前くらいだったか、ハッキリとは忘れたが
その人が本当に死にかけていた。ペニ−に「このまま本当に死んでくれたらね」と漏らしたら「お前さ、仏教とか
好きなんじゃねぇの?そんなバチあたりなこと言うなよ」と言われた。しかしね、ペニ−にも言ったんやけど仏教
は『愛別離苦・怨憎会苦』と説いている。これは人生にあるいろいろな苦しみの中のひとつをさす言葉なのだが、
愛する人と離れ離れになる苦しみと、怨み憎しむ人に会わなあかん苦しみのことを言っている。お釈迦様だってこ
んな感じに「怨み憎しむ人」はいるんだと言ってるんよね。日本人は儒教な考えの人が多いからなのか、好きな人
と嫌いな人を分け隔てるのを悪いことだと考える。いわゆる依怙贔屓(えこひいき)ってヤツね。でもさ、そもそ
も「人類みな兄弟!」的な発言を軽々しくする日本人の軽率さの方がおかしいと思う。キリスト教でも「汝の敵を
愛せ(これは「嫌いな人を好きになれ」という意味ではなく、「嫌いなりにも愛せ」ということらしいです)」と
教えてる。「敵を愛せ」なんていうからには『敵=嫌いな人』の存在を堂々と認めているということ。儒教はよく
わからないので詳しいことは書けませんが、仏教は『人間のそのもの』を見ることを認めています。好きなものは
好き、嫌いなものは嫌い、ありのままを見るというその考え自体を認めています。ペニ−が「なるほどね〜そんな
現実を無視したら宗教の存在価値なくなるもんね」と妙に納得していたのが笑えたね。結構前のことだが、自分で
好きな人の人数と、嫌いな人の人数を数えてみたことがある。その時は好きな人の数の方が多くて安心してたよ。
まぁ嫌いな人もたくさんいるな〜とは思ったんやけどね。さて、最終的に冒頭にでてきた僕の嫌いなその人は今も
生きながらえています。ちょっと残念だけど、心から憎める『敵』を失うという恐怖感も確かにないではないので
まぁ、よしとしましょか!?

誰がための音楽か

2005.09

先日マリリンと音楽についていろいろ話し込んだ。近頃僕もマリリンも何かと音楽で悩みがつきないせいか結構頻
繁に話をする。僕は音楽は2種類あると考える。1つは他人のための音楽。もう1つは自己満足のため、自分のた
めの音楽。もちろん一番最高な形は「他人のためになって、自分も満足できる」ではあるがなかなかそれも難しい
ことで、僕の場合は意図的にではなく、全ての歯車が相成った時に偶然に「他人のためになって、自分も満足でき
る音楽」が完成するぐらいだな。そしてもう1つ全く異なった分類方法で音楽をみると、メロディーと歌で形成さ
れる音楽と、アレンジや演奏で聴かせる音楽とに別れると考えられる。僕は過去、どちらのタイプの音楽にも触れ
る機会があり、どちらのタイプの楽曲も発表してきた。しかし先に触れた「自己満足のための音楽」だけは昔から
縁がなく、と言うか運良く自身の望むものと世の中やリスナーのベクトルがピッタリきて単なる「自己満足」な作
品で終わることはなかった。なので曲の存在意義を問いたくなる楽曲は世の中に吐いて捨てる程存在するが、これ
は「メロディーと歌」、そして「メッセージと歌詞」をおろそかにした結果だろうと思う。いい作品、いい曲がか
けない原因を単なる才能の問題、知識や経験の問題と考えているアーティストもいるだろう。でもきっとそうやな
い!音楽観は様々やし、僕の意見が絶対に正しいとはもちろん言い切れないが、メッセージのない音楽は音楽では
ない。アレンジや演奏で聴かせる音楽であるジャズ、フュージョンなどのジャンルでもその場に作られる空気感は
立派なメッセージだ。曲はかくものではなく、生まれるもの。自分の子供のように難産で出産されるもの。それを
世の中の全てのアーティストが気づけたらきっと最高の音楽シーンになるんやろうね。僕のかく曲は偶然に僕のも
とに降りてきただけ、マリリンの曲は偶然にマリリンのもとに降りてきただけ。いつか僕らの中の曲への固執がな
くなった時、本当に降りてきた楽曲を自分の手でそのまま汚すことなく形にできたらいいね、という話をマリリン
としましたと言う話。


終わらない話

2005.05
 
僕はあなたとは違う、私はあなとは違うのよ、はたして「違う」というのは「否定」なのか?価値観の違う人間と
話す時、あなたはその人を「否定」するのか?考えてみりゃそれはただ価値観の違いという事実を認めているだけ
のこと。宗教が違えば当たり前のように思想も価値観も異なるだろう。しかし宗教の違い=戦争、ってわけにつな
がりかねない今の世の中はどうでしょうね。世界中の大多数の人達がきっとそれぞれの宗教のもと、平和を思って
戦争なんかしたくないって考えてるんだと思うのね。でも事実戦争は起こっているわけで、それは何故?と考える
とやはりその「違い」ってものの中に必ず理解し合えない「何か」が存在するってことだろうと思う。しかし仮に
分かりあえない2人でも、相手の考えをある程度までは認めてあげる努力も必要なのかもね。それが戦争を起こさ
ない秘訣かも。先日戦争の夢を見た。もちろん僕は戦争を知らない。なのでその夢の中の戦争は、マスメディアな
どから僕が摂取した情報で組み立てられたものなので、戦争の本当の悲惨さは正直わからん。でもとても気分の悪
い目覚めでした。日本国内でも思想の違う人達はたくさんいる。きっと戦争反対でない人も中にはいる。でも僕は
「違う」というのは「否定」ではないとその人を認めることができるのか?と言えば正直できない。とても矛盾し
てるけど、戦争なんてやっちゃう人の考えを僕は理解したいとは思えない。だって人道的に悪いことじゃん?と僕
の心は言っているからね。でも、その「人道的に悪いこと」って判断基準も世界的に違いがあって、僕が「戦争す
る人の事は理解できません」なんて勝手に正しいと思って言ってるうちは世界平和は訪れないのかも…。本末転倒
…堂々巡り…個々の「違い」というものが戦争の原因なのは何かわかるんやけど、それがどうにも片付けられない
大きな問題なんだろうな。善い悪いの判断さえも違うんやからね。まぁとりあえずこの話題はキリがないよね。ず
っと同じところを回っているだけで、終わらないもんね。


裸の王様と毒水の話

2005.04


アンデルセンの童話で「裸の王様」というのがあります。誰もが知っているあれです。ある王様が詐欺師に大金払
って金襴のローブをつくってもらう。そのローブは善人にしか見えないものやなんてその詐欺師が言うもんやさか
い、王宮の家臣達も見えんとはよう言えん。まぁそんなこんなでその金襴のローブを着て王様はパレードすること
になっちゃいます。ところが子供達は正直!「王様素っ裸やん!!」と大声で笑う。そして王様は裸に気付くとい
うお話です。この「裸の王様」に似た話をインドできいたことがあります。それはインドのとある国に毒の雨が降
る話。その毒の水を呑むと人間は七日七晩気が狂うらしいのね。そこの王様はそのことをよく知っていたので自分
の飲み水を汲む井戸にあらかじめ蓋をしておいた。これによってその王様は難を逃れたんやけど、あら大変。家臣
達にそのことを伝え忘れたため、城内の家臣達はみな気が狂い、素っ裸で踊り始めたわけさ。王様はもちろん正気
やから服を着ています。そんな王様をみて家臣達は「王様が気が狂ってしまったぞ!」と大騒ぎ。仕方ないので彼
らにあわせて奥の部屋で服を脱いで裸で七日を過ごした。そして七日後、毒水の効果 も切れ、正気に戻った家臣達
が「王様が素っ裸だ!王様が気が狂ってしまったぞ!」とまた大騒ぎ。王様は苦笑いしながら「私は気が狂ってい
るのではないよ、お前達が毒水にやられて気が狂っていたんだ。正気に戻ったようなので私もそろそろ服を着ると
するか、やれやれ〜」。子供の頃よく先生が「稲葉くん、普通はこうするものなんだよ!」と怒られた。多勢に無
勢とはよく言ったものだ。もしかしたら世の中の常識なんてこのインドの毒の水の話のようなものなのかもしれま
せんね。普通とはいったい誰が決めるのか?それは大数派の人間。みんなが高校、大学に行くから進学するんが普
通とか、就職する人がほとんどやからアルバイトはあかんとか、そんなん違うと思いません?普通 なんて言葉はと
てもあやふやなもの。人道に外れるのはあかんと思うが、人生なんて自分が「良し」と思ったらそれでええねん。
でもまぁ他人に迷惑かけたり、嫌な思いさすのはあかんし、人道の基準というのもまたあやふやな話やから何とも
言えないんやけどね。


バイブレーション

2005.03


ヴァイヴレーション。それは音楽にとってとても重要です。ライブでそれが欠けていれば興奮しないし、感動もし
ない。でも近頃ではそのヴァイヴレーションを感じるバンドもほとんどみなくなったよね。CDでは特に。只でさ
え演奏者のヴァイヴレーションをCDに収めるのは難しいと言われてます。ヴァイヴレーション自体を演奏から感
じられない現代のバンドが、レコーディング技術にかまけてテイクを切り刻み、細かくエディット、修正するんや
からヴァイヴレーションはないに決まっているよね。さて、ではそのヴァイヴレーションがあればCDは売れるん
かと言われると好き嫌いもあるのでわからんが、はじめて聴いた時の衝撃は全然違うと思います。ビートルズの名
曲「レット・イット・ビー」の3コーラスめ、思い切りピアノが間違ってるよね?普通 に考えればもうワンテイク
録らなあかんだろうね。でも「レット・イット・ビー」はそのままレコードになってしまった。ピアノだけを録り
直すことはその時代の技術でも容易にできたことだし、間違っていないテイクと差し替える技術だってあった。制
作費がなくてワンテイクしか許されませんでしたなんてこと、ビールズに限ってはありえへんしね。確かにバンド
内に暗雲うずまいてる時期やから、もうワンテイク録ることを拒否したのかもしれない。真実は知らないが、差し
替えられていないんよ。普通に考えれば間違ってるんやから×なテイク、しかしそのまま発売された「レット・イ
ット・ビー」は何とも言えない気だるさ、そしてサビへの導入時のパワーの開け方、曲のヴァイヴレーションは最
高潮のものを感じます!そのヴァイヴレーションを優先して、ピアノの間違いを×としなかった制作スタッフの音
楽への愛を感じます。僕は演奏のうまさやピッチを超越した次元に音楽の魅力は存在しているんだと思います。音
楽ってそういうハートフルなものだと思ってます。そういう僕も仕事上、エディットや修正を多様しています。し
かし自身のプロジェクトに関してはなるべくヴァイヴレーションを重要視して、演奏している瞬間の空気や気配や
気迫を忠実にみんなに届けられるようにと考えています。余談となりますが、「レット・イット・ビー」のコピー
譜面、3コーラスめだけ「忠実」に間違うように書いてあります。それもすごいよね。


人間五十年

2005.03


織田信長が好きだったとされる幸若舞「敦盛(あつもり)」。〜人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごと
くなり 一度生をうけ 滅せぬ者のあるべきか〜 さて現在の日本の平均寿命はと言うと女性85.33歳、男性
は78.36らしい。「敦盛」の冒頭の人間五十年とは寿命のことなのか?なんてったって戦国時代やからね、き
っと50歳まで生きたら結構長寿やろうからね。でも事実はちょっと異なります。実はこの「五十年」というのは
天界での1日を現わしていると言われています。天界の人達はかなり長生きするらしく、天人の中でも下級な人達
すなわち「下天」の方々でさえ、どうも500歳は生きるらしい。しかも天界の時間の流れは僕らが暮らすこの世
界とは全然違うわけです。下天の1日は人間の五十年。ということは、単純に計算してみても、500×50×3
60=9、000、000…!!!!9百万歳かい…。しかももっと偉い天人が暮らす所の1日は人間の百年らし
いから、計算すると3千6百万歳…。織田信長は出陣の前には酒を煽り自らこの幸若舞「敦盛」を詠って踊ったと
いうけど、下天の1日足らずしか生きられへんから精一杯きばって生きたろ!とかって思って自分で自分を奮い立
たせてたんかな?地上にでてきて数日しか生のないセミやカゲロウから見たら、僕ら人間の人生はそれと同じよう
にきっと無茶苦茶長いんやろうね。だから精一杯 鳴く鳴く鳴く。今年の夏、むさ苦しい暑さの中でセミの声をき
く時にはその儚い精一杯に敬意をはらおう。そしてもちろん僕らも織田信長に負けないように頑張って生きましょ
う。どんなに頑張っても僕らの人生は下天の2日。それまでに何ができる?たくさんできます。何やかんやできっ
とやれることは山程あるでしょう。無駄にできる1日はありませんよ〜人生を完全燃焼で全うしよう。いつか死ん
で下天さんに言いましょう「僕ら人間の人生は短いけど太く生きました」ってさ。


電力

2005.02


先日停電があった。まぁこうなることは先週からわかっていたから仕方ないけど。先週、公益企業独特の言い回し
で考えられるすべての言い訳と御託を並べた手紙がポストに入っていたからだ。せっかくの停電だ、夜3時間ほど
星でも見て…とはいかない。僕は夜型人間だ。それにプラスして我が家はエレキハウスと言っても過言ではないく
らい電化製品が多いからね。何より仕事自体できねえよ。だから停電は1時間でも、たとえ30分でも心地よいと
はお世辞にも言えないわけだ。しかしどうだろう?電気がつかないこの生活を僕らはどこかドン底な生活に思うが
世界ではその大半がこんな暮らししてんだなと考えると奇妙にも別にどうってことなく思えるんよね。そこで停電
ついでにもう少し奥まで掘り下げてみる。1700年頃まで利用できる能力は人間の筋力か、水か風か動物だった
し、場所によっては1900年でもそんなんだったらしい…………………ん〜恵まれてる。ほんまに恵まれている
よね。たかが一世紀くらいでよくも人間はここまで動力の虜になったな。僕らは生まれた時からそんな生活を送り
続けているけど、もし動力を失ったら?大地震などで私生活が一変したら?大変だ。たかが数時間の停電ごときに
うろたえているようじゃダメだね、幸い水はでるし。でも僕らのような業種の人間はやっぱり電気がないと仕事が
できない。文明の恩恵をもろに受けてる職業ってことか。


流れ

2005.02


はじまりがあって流れがあって結果 がある。そしてその流れの中には必ず意味がある。今イギリスを中心にトニ−
ポッタ−&ザ・フレンズをやれてるのも、MARZ時代に海外での活動を頑張ってきたから。「俺がメンバーなん
やからイギリスでCDださせてもらって当然!」とは思わない。とてもありがたいことだと思う。俺のことが嫌い
な人、俺の嫌いな人、俺のことが好きな人、俺の好きな人、そんな人間関係も流れの中でできたものだ。なんで俺
はこの人と仕事してんのやろ?ってよく考えます…。どんな流れの中でこの場にこの人といるのか?どういった経
緯でこの人は俺と仕事している「この時間」までに至ったのか?気になりません?そこんとこが。人の出逢いには
偶然はないと聞いたことあるし、全ての出逢いが必然で、意味のない出逢いはないと俺も思ってます。しかしやは
り人間それぞれなんで、そんなことはおかまいなしに「はい、それじゃ僕これやるんで、トニーさんはこれして下
さい!」と、どこの誰なのかもわからんスタッフに言われることもある。それがその人との初の会話なんて場合は
もう〜かなり悲しいもんがありますね。「お前は自己紹介もないんか?どこの誰やねんお前!」とかってさ。そう
いう人はだいたいが、ーただ与えられた仕事をこなす−ってタイプ。そんななら仕事すんなって思います。こっち
が冷めるやん。そういう人とはなかなか次の仕事をする気がおきません。一度きりでいいですって感じになるから
ね。まぁお前こそナニサマって思われるかもしれませんが、逆にとことんこだわりをもって真直ぐに仕事をしてい
る人もいます。そういう熱い人との仕事は好きだし、その後には必ず「流れ」が生まれ、人間関係が生まれます。
そして他の仕事の際にこう言うわけです。「2人が知り合った経緯?あの仕事でさ〜」ってね。時間も空も雲も自
然界のすべては流れています。もちろん人間の気持ちにも流れはあります。物事には全て経緯、流れが存在してい
ます。はじまりと同じくらい「流れ(経緯)」も大切だと思います。適当に付き合ってきておいて最後だけ助けて
と言っても誰も助けてはくれませんよ。


はじめて

2005.01


小学校低学年の頃、はじめてカセットラジカセに自分の歌を録音した。曲はかなり適当な英語の「オブ・ラ・ディ
オブ・ラ・ダ」。はじめてのライブ。その後、いつか忘れたがはじめて買ったMTR、そしてはじめて作詞作曲し
た曲をレコーディング。出来は最悪だった。はじめて友人に配ったオリジナル曲のカセット。はじめて入ったレコ
ーディング・スタジオ。はじめてのCDリリース。はじめての東名阪ツアー。はじめてのメジャーシーンの仕事。
はじめての海外でのCDリリース。はじめての全米ツアー。はじめてのチャートイン。はじめてのホールライブ。
この頃から特に「アーティスト」という自覚が生まれ、若いながらにいろいろ悩んだ。はじめてのスランプ。そし
て先輩バンドのサポートとしてはじめてアリーナステージにたった日。本当に若かった。と言うよりも本当にここ
までノンストップだった。僕は基本的に昔から有名になることは嫌いだ。TVやラジオ、雑誌の取材も嫌いだ。た
だ音楽が毎日できたらいいな〜くらいに生きている。なのにどういうわけか20歳くらいまでは強く断れずにメデ
ィアに結構露出していた。そしてその効果もあってなのか、この頃結成していたバンド「MARZ」も想像以上に
CDが売れていた。今思えばメディア嫌いな俺がよく頑張ったよ。今はもうなかなか音楽制作やライブ以外のこと
をあんなに頑張れないな。今やってるポッタ−なんてプロモーションもほとんどしないし、まったく酷いものだ。
レコード会社は毎度困ってるだろうね。人には多くの「はじめて」があるわけですが、その「はじめて」が集まっ
たのが今の自分です。俺自身も上に書いたようなはじめての集合体なんだなと改めて思いました。今年はいったい
どんな「はじめて」が待っているんだろう?


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