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2003 / 03-01:衆議院選挙のTVCM 03-02:洗濯と人類叡智の結晶 04-01:馬と鹿のいわれなき屈辱
04-02:世界平和の最終秘密兵器「クレヨン 」 05-01:これが宇宙のはじまり? 05-02:たまには普通 の音楽話
05-03:「The ROYAL TENENBAUMS」お薦めします! 06-01:動物園はどうだ? 06-02:星に向かって
07-01:あなたはきっと輝いてます 07-02:ギャンブラー 07-03:未開文明恐るべし!
08-01:よりよい導師を見つけましょう 09-01:インディアンの家族意識 09-02:大阪の略し地名講座
10-01:テディ初ハワイ上陸 11-01:イッツ・オンリーワン 11-02:タイガースの話 12-01:今年最後のお話
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2003.12
この世の中で何ひとつとして自分と関係のないものなどない…。遥か昔、他人への思いやりのない僕に中学校の先
生はこう言いました。その頃の僕はと言えば、全く理解できませんでした。要するにきっと単純なことだったんだ
と思います。その先生が言おうとしていたのは「変化のない独自の存在などこの世にはない」ということ。誰もが
他の全てと相互に干渉し合い、依存し合い生きてんだよということだったんだろう。まぁきっと10年以上も後に
まさかここまで深読みされてるとはその先生自体も思ってもないでしょうし、言ったこと自体忘れているかもしれ
ませんよね。とりあえず、それからいろいろと考えてきた結果を今回はお話しようかなと思います。ちょっと真面
目なお話です、今年最後だしね。ではまず海の「波」を思い浮かべて下さい。「波」は明らかにそこに存在し、発
生があり終わりがあります。しかし別の視点から考えてみると、「波」は存在すらしていないのです。それは単な
る「水」の動きであり、分離した独自の存在としては「無」である。「水」があり、風などとの外部干渉によって
引き起こされた、一連の絶え間ない変化に左右されてたまたま出来た「状態」ではないでしょうか?またひとつの
「波」がその他の多くの全ての「波」に関係していることも事実ですよね?こう考えていくと世の中の全ては個体
での存在自体を持たなくなることになりませんか?これはいわゆる仏教的に言う処の「空(くう)」ということに
なります。植物もそうだ、太陽の光、土、風、雨…数々の外部存在なくして「植物は植物として存在し得ない」の
です。このように僕ら人間もまるで個々の個体が頑張って生きているように感じていますが、実際は自惚れるほど
の「独自性」なんぞこれっぽっちも持たない小さな存在なんだと気付いて頂けるでしょう。僕らを含むすべてのも
のが相互に依存し合ってるとすれば、あなたの今日の行動ひとつで、明日もしかしたら太陽が爆発するかも?事実
南極の氷の溶け具合で来年の酸素濃度やら何やらいろいろと変わるらしいですからね。個人責任はひょっとしたら
宇宙サイズの共有責任なのかもしれませんね。
2003.11
「おまえのコラムは難しゅうてようわからへん」と僕のベースの師匠に言われた。でも「大阪の話の時はかなりよ
かった!あれは頭悪い俺でもわかる!毎月あんなんにしたらえぇねん。」とも言われた。それは無理やけど、あの
大阪の話、意外に読んでくれてはる人の反応もよかったんだよね〜それに阪神優勝したもんね、もう1回くらい同
じネタでも許されるよね?というわけで今回は阪神タイガースネタでいきます。タイガースネタて言っても普通
に
タイガース語ってもあんま面白くないんで「コンドーム風船」の話をしようと思います。ところで野球も知らん、
関西出身でもない、という人、「コンドーム風船」わかります?甲子園のスタンドから一斉に飛ばされるジェット
風船と言えば、テレビとかで見たことないかな?気の抜けたような奇音を発しながら夜空に舞い上がる細長いあれ
です。かなり燃えてる阪神ファンは家でもあの風船飛ばすっちゅうからかなり熱いよね!で、あの風船が別
名「コ
ンドーム風船」と言われてます。こんな名前してるせいで、球場で「よっしゃ!飛ばすで!」と意気込んで風船ふ
くらませてる最中に破裂させると近くのおっさん達に「若いから我慢でけへんねんな(笑)」なんて突っ込まれま
す。この風船は東大阪市の「タイーガーゴム」って会社のものなんやけど、社長が阪神ファンだから「タイーガー
ゴム」なのかは不明。ところで文頭にでてきた僕のベースの師匠は、難波橋にいてるライオンの像をタイガース模
様に塗り替えたことがある。「大阪いうたら虎やねん。何で大阪にライオンがいてるんか前からようわからんかっ
たんや。色塗りにいくで!」とまぁその時の彼はこんなこと言うてましたが、彼もかなりの阪神ファン。なんで難
波橋にライオンが来たのかは知らんのやけど、かなり古そうやからきっとタイガースできるより前にできたんちゃ
うかな?いずれにしても昔の偉い人が「ライオン置いて大阪人をビックリさせたろ!」というサービス精神むき出
しで作ったんは間違いないと思います。きっと塗装されたん1回2回じゃないんだろうな〜波乱万丈だね。
2003.11
つい最近、アメリカの未来予測技術の話をテレビで見た。世界の人工が今のまま増加していくと、西暦3530年
頃には、人間の肉体と血液の総質量は、なんと地球の質量と同じくらいになってしまうらしい。また6826年に
は、今わかってる範囲の宇宙の質量に匹敵する程になるらしい。まじで気が遠くなる話だよね。しかしふと考える
ともっと不思議というか、凄いことがあるんです。今までこの地球に産まれた人間が約600億人くらいらしいん
ですが、その誰もが別の人間、当たり前の話なんやけど、同じ人間がいない。こりゃちょっと凄くないですか?人
間の性細胞の組み合わせは無限大ってことなんでしょうか?この先何100億人の人間が産まれても自分と全く同
じ人間は産まれてこないんですよ!?1分間に約100人がこの世界から他界して、約250人が産まれてくると
いう話を前に聞いたことがありますが、やはり自分と同じ人間はいないんです。「人は必ず何かを持ち去り、何か
を残して行く」と、名前は忘れましたがフランスの学者さんが言っています。人間はそれとは知らずにこの世の中
に自分にしか残せないものを残し、代わりに何かを取って行くというのですが、確かにわかる気がします。まず大
半は目には映らないもの、世間の噂にならないもの、記録に残らないもの。もちろん未来予測技術に用いられる国
勢調査にも印されることがないもの。でもその人にしか残せないかけがえのない大切なもの。「必要のない人間は
この世の中にはいない」そういったメッセージなのかもしれませんね。僕はこの世の中に何を残すんだろう?あな
たは何を残すのでしょう?神のみぞ知るっていうヤツですね。
2003.10
ハロウィンタウンの新人さん「テディ」が今月ついに初のハワイ上陸を果
たす。東京から飛行機で約8時間、大平
洋の真ん中にあるリゾート諸島。ちなみに正月のTVとかで芸能人の囲みインタビューやってんのはホノルル市の
あるオアフ島。結構みんな間違ってますがハワイ島ではありませんので、念のため。さてハワイと言えばカメハメ
ハ大王!とはいっても僕自身よく知らんのだが、風のすべてが彼の歌、星すべてが彼の夢なんて歌うくらいなもん
だからかなりの平和ボケだったに違いないね。しかも雨が降ったらお休みなんて、かなり気楽でいい身分だよね。
しかしカメハメハ大王の前で写真を撮ってくるのはいかにも日本人らしくて恥ずかしい。同様にサーフィンのゴッ
ド「デューク・カハナモク」の銅像前で同じポーズ決めての撮影もかなり日本人観光客として正しい行動パターン
だと思います。ハワイは日本人の初海外進出によく利用されますが何故?近いから?安全だから?便利だから?ま
ぁ全部それなりにはまるんだろうけど、便利といえば「ABCマート」。道を歩けばあるわ、あるわ〜どの角みて
も、どの道進んでも「ABCマート」。完全独占って感じです、でも長期滞在にはかなり便利。話がそれましたが
テディが初のハワイです。ショッピング天国ハワイでバカ買いをしていないことを願おう。ショッピング天国ハワ
イと書きましたが、早朝にホノルル入りした日本人のほとんどが、即ドルに換金しホテルのチェックインまでにす
ることはただ「買い物」の嵐。その後も海に入る時間を削り、ホテルや食事代を削り、新作ブランドを買うのがど
うも日本人のようです。しかしホノルル着からホテルチェックインまでの中途半端な時間を有効に使うハワイ上級
者は、何件も店をハシゴして価格差を調べるらしい(でもお目当てのものは即買いしないとなくなるそうです)。
ハワイ旅行にいく人へのアドヴァイスは「ハワイには手ぶらで、財布には金を、船にはジンジャーの酔い止め」。
これさえ覚えとけばハワイで楽しく暮らせます。
2003.09
リスナーの人からもらったメールに「昔、大阪で道を訪ねたら何を言っているのか全くわからなくて困った」とい
うものがあった。そう、関西の人はもうお気付きだと思うが、地名が略されていて、そのリスナーさんはその「略
語」がどこの知名を指してるのかようわからんかったようです。確かに大阪は略し過ぎやもんね。きっと「うえろ
く」やら「にっぽんいち」やら言っても他県の人にはわからんでしょう。「うえろく」は「上本町6丁目」、「に
っぽんいち」は「日本橋1丁目」。その他も言い出したらキリがないほどいろいろあるんやけど、まぁ〜知ってた
ら便利な有名所だと、「しんち(北新地or飛田新地)」「がちゃ(天下茶屋)」「城ホール(大阪城ホール)」
「NGK(難波グランド花月)」「OAP(アメニティパーク)」かな。これくらいは最低でも知っとかへんと実
にきつい。ちなみにリスナーさんは「三番街」って言われて「どこの三番街ですか?」なんて言っちゃったみたい
やけどこの「三番街」は梅田の地下の「阪急の三番街」のこと。よく似た感じやと「あべちか」は、天王寺駅の地
下にある「あべの地下センター」。しかし今回は大阪略語講座になってしまいそうな勢いですね。さてさて書きき
れない量の略語地名がある大阪なんやけど、実はこれ地名に限られません。道路も略しちゃいます。「はんこう」
は「阪神高速」、「そとかん」は「外環状線」、「しんみ」は「新御堂筋」、ちなみに阪高湾岸線から助松ジャン
クションんとこの堺泉北道は「100円道路」。これはただ単に通行料金が100円やから。地名など覚えるの苦
手な人が大阪住んだら、そりゃもうきっと海外にでも来てしまった感じなんやろうね〜。あぁ!あと肝心なの思い
だしたんやけど、大阪の友達と待ち合わせして「スクリーン前」って言われたら梅田にある紀伊国屋って本屋の横
にある大型スクリーンです。ここは大阪人と遊ぶには必須なんで忘れんようにしてください。
2003.09
インディアン自治区に暮らす知人の家に遊びに行くといつも「よく来たね!!泊まっていけるのだろ?」と驚く程
温かく迎え入れてくれる。来るもの拒まず、来た者には宿を与え、飢えを満たし、惜しみなく尽くす、これが彼ら
インディアンの信条。まぁ歴的に言ってしまえば、こんな感じなんで歓迎した異国人に殺戮され、土地を奪われち
ゃったりしたわけだが…。さて話は戻るが、この時の僕のようにインディアンの家庭には近縁、遠縁の親戚
、友人
知人など、本当に多くの人々が絶え間なく出入りしている。侵略のこともあり、幾分伝統保護などには頑にはなっ
たらしいが、僕から見た彼らはかなりひとなつっこい。僕が訪れた時も毎度毎度、本当に真剣に僕の話を聞き、そ
して相談に乗ってくれる。僕がいつもお世話になるコヨーテのチョーカーをしたワンさんは「我々の社会は個々の
人間を尊重しあう人づきあいの姿勢が生みだすもの」と言っていた。人間はそれぞれこの世の為に役立つ才能、技
能、個性を大いなる神秘から授かり生まれてくるから、それぞれの違いを認め、尊重しあわなければならないとい
う考えだ。これが部族、民族を超えた彼らインディアンの対人観の基本なんだろうね。日本人が血のつながりにこ
だわる一方、インディアンの家族意識は血縁の有無による分け隔てがない。いいね〜そういうの!しかもこうした
家族意識の輪は氏族や界組織への帰属精度により、さらに大きくなっていきます。
2003.08
ちょっと前のこと、チベットの方で仏僧をやっている人と偶然話しができる機会があった。言う間でもなく僕自身
そして相棒の長谷場くんは僕以上にチベットが好きだ。日本にいてチベットの仏僧をしている人と話す機会なんて
なかなかないので、もちろん会ってきました。いろいろ話をしていた中、彼が「敬信を通
してのみ、唯一敬信をも
ってのみ、人は絶対の真理を知るんだ」と言っていた。簡単に言うと、日々の普通
な精神状態のままでは、決して
真理に到達することはないと言うこと。では、普通の精神状態を超えた道とは何か?それは心の奥にある道。悟り
なるものを開く道、真理を知る道、解脱に続く道、全てにおいて重要なのはよりよい導師(先生みたいなもの)に
つくことだそうだ。今まで悟りにいたった覚者の中で、導師の助けなく成就した人はいないという。これは僕ら日
本で暮らす人においても言えるんではないでしょうか?人間関係の中でも、よりよい友を選び、優れた先生や師匠
を選び、僕らは人生を送って行く。着いて行く友人や上司を1人間違えた為に人は、人生をコケる。僕の周りにも
そんな人達はたくさんいる。逆に僕だって数カ月前、危うく間違った人を選び人生をコケるところだった。偶然そ
こに至る前に発生したトラブルと、尊敬する人達のアドヴァイスにより道を誤らずに済んだ。僕らのように音楽業
界にいると人よりも多くこういう機会がある。人選を1人間違えば、傑作になるはずの作品もただの作品になる。
ともなると、成功するはずのバンドが失敗する。事実そういう作品やバンドを僕自身知ってる。またエンジニアも
間違えば全く拍子抜けな作品になる。要するにその音楽をよりサイコーなものにする要素を持たない人間をプロジ
ェクトに参加させること自体が失敗なんでしょう。でも僕も音楽制作歴長いんですが、そんなことよくあります。
後で気付くというか、何度か一緒にやってみないとわかんないってことでしょうか。
2003.07
南太平洋のソロモン諸島というとこの樵(きこり)さんはちょっと変わってる。そこの木はあまりに大きく斧が役
に立たず、仕方なくというか何でなのか、怒鳴りつけて木を倒しちゃうのだ。本で昔読んだことがあるから多分嘘
ではないです。島の樵達が夜明けに木の前に立ち、こえの限りに叫ぶ、これを30日にわたり続けると、木は次第
に衰弱し、終いには倒れてしまうらしいよ。しかし何と言うか、かなり素朴な努力だよね。さすが密林、未開文明
恐るべしだね。でもそんな地道に頑張る彼らが、現代の工業技術や科学を知らんのは本当に気の毒だと思います。
では先進国はどうだ?うちの近所のオヤジはやたらと車に当り散らす、オバハンは芝刈り機や子供を怒鳴ってる。
先日など脚立ハシゴに怒鳴ってるのを目撃した。どうも先進国の人間はとかく機械に当たることが多いようだ。怒
鳴ったところでどうなるものでもないのに、とりあえず怒鳴る。相手が人間となると案外ソロモン諸島の樵さん達
に学ぶべきとこがあるやもしれへんですね。人間を怒鳴ると言うことは、下手すれば相手を疎外し、生きていく気
持ちを阻喪させてしまうかもしれない。言葉は人の心を傷つけます、慎重にソロモン諸島の樵さん達のように地道
に努力し合いわかりあえるよう頑張らんとあきまへん。とは言え、先進国は時間に追われてる人が多いからね。な
かなかゆっくり話できる機会も少ないよね。
2003.07
学生時代の同級生に職業を問われたら必ず「ギャンブラー」と答える奴がいる。本当はホカ弁のアルバイト。彼は
昔から仕事に対してある種懐古的な人生観を披瀝するようなとこがあった。「人生なんてサイコロふってるような
もんだよ、たかがギャンブルだよ!深く考えんなって。」彼の口癖だ。僕は競馬も競艇もよく知らんが、そんな彼
と競馬の話をしていてふと思った。彼はギャンブラーだが負ける博打は打たない人のようで、確立がちょんちょん
なら両方に賭ける。それでスッカラカンにされる危険だけは回避するらしい。何年か前、マネージャーが音楽ビジ
ネスに関して「<短気は損気>と<下手の思案は休むに似たり>の間で勝負しろ」と言っていたが、彼の言ってる
のもそんなとこなんだろう。確かに僕らがやってるような仕事は博打っぽい要素が多分に含まれいています。でも
僕の場合、結構練りに練って「石橋を叩いて壊す」くらいな勢いで用心してかかるので、死にかけた回数の割には
人生の大きな博打っていうのは今まで一度も味わったことはないです。彼の考えが間違ってるとかそんなんじゃな
いし、最後の精算を自身の責任のもとに行なうのであれば、それはそれでOKだと思います。ただ前にも書いたけ
ど僕は「夢を諦めないで」みたいな曲とか大嫌いなので、人生で大博打うってハイリスク・ハイリターンな夢を追
っちゃったするのはどうかとも思います。まぁ結論僕はギャンブラーではないということです。
2003.07
そろそろ夏です。でもなかなか盛り上がる気持ちになれないまま夏を迎えようとしている人もいます。今回はそん
な人のために。人生なんて最低だなんて思ってる人にも読んで欲しいですね。アインシュタインは「想像力は情報
以上に貴重である」と言う、まさにその通りだと思います。人間は順繰りに肩車しているようなもの、地べたに這
いつくばっていた人が起き上がり、風船を膨らまして空を飛ぶ。また逆に地上でその風船のロープを縛り、離陸を
手伝い、風船で上昇する人を優しく見守る人たちもいます。彼らに助けられながら風船に乗った人たちは可能性の
限界に挑むわけです。誰も無駄な人間などいない、アインシュタインはわかってたんだと思います。何も風船で上
昇していく人たちだけが「輝いている」わけではないし、風船がどうしても上手くスムーズに上がっていかない人
や、停滞してしまっている人も当然「輝いている」と思います。僕も風船に乗り、多くの愛ある人達の支えの中、
現状まで風船を上げてきたわけですが、反対に何人もの「輝ける風船に乗った人」の援護もしてきました。そんな
人たちに僕は何を贈ってあげられたんだろう?ちょっと背中を押して飛び立たせてあげること、すなわち人生の先
にある「未来への想像力」を掻き立ててあげることだったと信じたいです。「こっちにおいでよ!この崖にいいも
のがあるよ!見せてあげるよ!」と僕は誘い、怖がりながらも風船を手に「輝ける人」は崖っぷちにやってくる。
そこでそっと背中を押してあげるんです。まさに今、僕には背中を押してあげたい人がいる。自らの可能性を充分
に発揮させてあげたい人がいる。あなたは絶対に今も輝いています!
2003.06
「砂漠を旅する者は星に導かれ進む」…ユダヤ教の偉いラビ(先生)の言葉です。きっと星に向かって歩いていっ
ても星に到着することはないが、星に近づこうとすることで、より理想に近づけるってことだと思います。ユダヤ
教はもともと砂漠に生まれた宗教なので度々このように「砂漠」が比喩に使われます。仏教で言えば、「砂漠」は
「大きな河」。こっち側が此岸と言って、煩悩の世界、あっち側が彼岸で煩悩の消えた「涅槃(ねはん)」の世界
です。この大きな河を渡り彼岸に到着せよ!というのが仏教の教えで、仏教はその渡り方を教えてくれているわけ
です。しかしそうそう簡単に渡れるもんでもなく、大変なことです。きっと普通の人なら渡り切ることは無理なく
らいなこと。ユダヤ教の「星」にしても、仏教の「河」にしても完全到着が絶対ではなく、大事なのは、日々ほん
の少しでも前進できるように頑張ること!昨日より今日、先月より今月ってな感じで。僕自身も、そしてこれを読
んでくれている大半の人が仏教徒やユダヤ教徒ではないでしょう。でもこれはきっと仏教やユダヤ教だけのことで
なく、人間誰もが絶対到着できなくても、少しでも「星」に近づけるよう努力することが大切だと思う。ちょっと
話はズレるんだけど、僕は「夢はきっと叶うよ」みたいな歌が大嫌いだ。だってそれは違う、夢は見るものではな
いでしょ?かと言って諦めずに頑張ればみんな叶うものでもない。もちろんそれで叶う人も中にはいるとは思うけ
ど、それってきっとほんの一握りの人たち。大切なのは「夢を叶える」ことじゃなくて「夢が叶うように頑張る」
ことや、「夢が叶うように頑張った」ということだと思いませんか?
2003.06
動物園、そこは僕にとって現実を忘れさせる、空想の宝庫だと感じたことがある。みなさんはキリンを間近で見た
ことがあるでしょうか?ヤツは不思議だ。とても現実のものとは思えない。知ってるでしょうか?キリンには声帯
がないことを。ヤツらはただ黙ってキリンをしているんです。とまぁキリン以外にもカモノハシやウォンバットな
どなど得体の知れない動物が僕の想像をそそり立てるわけです。時折ふっと動物園のことを思い出し、こんなこと
を考えている「得体の知れない人間」も動物園で見せたりなんかしたらどうかな?動物園のライオンは、雄1頭、
雌5頭、なかなかハーレムな生活を送っている(噂で聞いたことがあるが、ライオンはやったらと繁殖するので雌
は必ず避妊リングが仕掛けてあるらしい!)。ただ食って、寝て、繁殖とは無関係なHして…なんとも優雅な暮ら
しだね。動物園だから食住には困らんし、医療設備も万端!おまけに葬式までやってくれるんやからね〜まさに極
楽だ!彼らを見ているとのんびり暮らすのも悪くないなと思うね。絶滅寸前な人種として僕を動物園で飼ってはく
れんかな?人生に追われ、思索に蝕まれた生活も時として忘れたいもの。動物のようにありのまま勝手に生きるの
は、人間社会ではまぁ無理なことなんだけど、彼らは檻の中の生活に甘んじて、思索のない暮らしを送っている。
しかし思い、悩んで、苦悩、絶望、疑問、葛藤…etc、なんか意味のないようなことで考えすぎて、答えを求め
てこそ人間なのかもしれませんね。自己の存在という檻の中で、「俺は何故生きるのか?」という難問の答えの導
き出し方によって人の人生なんて極楽にも地獄にもなる。悩んじゃうのが人間のありのままの姿なのかも知れませ
んね。話が矛盾するんだけど、僕はやっぱ動物園では暮らしたくない。そういえば、人間社会だって実は檻の中っ
て歌ってたバンドもいますね…。最近動物園行ってないね〜。
★
「The
ROYAL TENENBAUMS」お薦めします!
★
2003.05
今回は映画について
。先月「 The ROYAL TENENBAUMS 」のDVDが発売されました!!実はかなりお気に入り
で、僕の中では昨年のベスト3に入る映画でしたね。さてこの「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」なんだけど、何
が良いって、いわゆるアメリカンコメディのような下品な笑いがほとんどない「良質のコメディ」だという点、そ
して登場人物が意外にもまじめに生きてるってとこ。カット割りや展開の部分的速さ、ファッションなど、映像的
な部分も文句なしに「良質のコメディ」!これこそコメディ!特にビジュアル的なディテールにこだわってたりす
るのがまた美味しすぎんですよ。しかしここまで言っておいてなんですが、実は僕かなり「ザ・ロイヤル・テネン
バウムズ」に出演してるグウィネス・パルトロウが好きなのです。きっかけは「恋におちたシェイクスピア」って
映画で、確か98年のだと思う。この映画が見事に僕のツボにハマったんです。最初「ザ・ロイヤル・テネンバウ
ムズ」はグウィネス・パルトロウが出てる映画だ!…と実際はこんな不純な動機から観た映画でした、すいません
です。ところでグウィネスが扮するマーゴって女の人は、無表情で、そんな表情が哀しいユーモアになっている点
がまたまたとても気に入った!恐るべしアンダーソン監督!「滑稽だからこそ哀しくもある」というユーモア感覚
の映画ってそんなにないと思いません?まぁマーゴだけに限らず、誰でもみんな少しは持ってる様な、ちょっと社
会の枠からはみ出したところ、みなさんとうまくやっていきたいんやけどできん、自分流というのがちょっと強す
ぎて自分自身であることを諦められない人達、そういった人達の人生がとてもオシャレに描かれています。映画の
舞台になっているニューヨークには何度か行ったことがあるんやけど、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」の中の
ニューヨークは何か違う。お伽ばなしの中のニューヨークとでも表現しりゃいいのかな?あんなニューヨークなら
是非とも住んでみたいよね。ただのヒューマンコメディとは訳が違ういい映画です。機会があった観て下い、絶対
後悔はしないと思います。
2003.05
アメリカに「ダヴァーン」というクラブチェーンがある。クラブと言うよりは、音楽のある居酒屋っぽいお店なん
だけどね。変なところで、キャパ400程度の建物の中にアメリカ全土をごっちゃ混ぜにしたような、そんなお店
だ。ちなみにここで演奏した後に飲むバドワイザーは最高!国中の老若男女な人達をひとつに融合する触媒、それ
がここで演奏するバンドの「役目」ということになっている。今だに60年代の空気の中に生きるこの「ダヴァー
ン」のくれるパワーは実に圧倒的!以前、こんなことがありました。ある土曜の夜、何気に友人と訪れた「ダヴァ
ーン」は暴走族「スイートデビルズ」に占拠されていました。男も女も僕よりもシャワーを浴びていないだろうと
思われる異臭を放っている奴らでしたが、なかなか板についた硬派な奴らでした。僕らとほぼ同時に、ひとりのイ
ンディアン老人もお店に入ったのだけれども、どうもその老人は「スイートデビルズ」が気になって仕方ないらし
くキョロキョロと彼らの方を眺めてはため息「情けない奴だ…ふ〜」。一方「スイートデビルズ」もFのつく言葉
を遠くから、そのくたびれた老人に投げかけていた。なんか起きるんじゃないかと少し期待し待ってる僕ら。その
日演奏していたのは、シアトルの先輩バンド「ロデオ・カウボーイ」(先輩だけどエルビスとかやってるロカビリ
ーバンドなので、ヴォーカルの名がテリーということ以外、本当はよく知らない)。その「ロデオ・カウボーイ」
が絶好調なテンションの中で「監獄ロック」をやりだすと共に、インディアン老人の脳内アドレナリンは刺激を受
け、ついには大分泌!このくたびれまくった老人が実はかなりのダンスの達人だった!その流れるようなダンスは
暴走族「スイートデビルズ」の女の子をも魅了し、老人と共に踊りだす!さっきまで老人を煙たがっていた男の方
もノリノリで絶叫!喝采をあげだした。老人も老人で、ついさっきまで「情けない」と罵っていた女の子を最大限
の歓迎で迎え、リードしている。彼のリードにかかるとその相手をしている子まで相当なダンサーに見えるから実
に不思議。店中の人間が老人に場所をあけ、メインフロアは彼だけのダンスフロアと化していった!曲が終わった
その時「おい!みんな見てないで踊ろうや!」とインディアン老人が煽り立てた。「ロデオ・カウボーイ」、「ス
イートデビルズ」、そして僕らを含む店中の客がその晩遅くまで、と言うかほぼ朝までハッスルした!数えきれな
い程「ダヴァーン」に通ってきたけど未だにあそこまで客として盛り上がったことはないです。音楽のパワーの素
晴らしさと凄まじさ、客と共に作り上げる音楽ステージの大切さ、そして「ダヴァーン」というワールドの偉大さ
を思い知ったね。あそこで演奏することができることを、僕は心底誇りに思います。
2003.05
ある意味、僕は引っ越し趣味かも、というくらい引っ越しが好きだ。しかしもともと綺麗好きとか几帳面
という言
葉とは縁がないので、一気に片付けて引っ越すということは今まで一度もないです。大家さんや不動産屋さんが困
るくらい執拗な家賃の値下げ交渉は必ず行なうけどね、結局のところ大抵は安くなります。さて、ここまで言っと
きながら今回は引っ越しの話ではありません。過去に引っ越し経験のある方はわかると思いますが、引っ越しをす
ると大量の「ほこり」なる物体があちこちから姿を現わしますよね?昨日の晩、ふと思ったわけです。それにして
もこの「ほこり」って物体は何だよ?成分は毛や剥離した皮膚、塵や砂、紙、微生物の死骸、食べ物のカス、枯れ
草、灰、菌類の胞子、単細胞生物…だいたいそんな感じのものが集まった物質だ。一応は人工的でない自然の有機
物質だよね。しかも主要成分の大半の発生源は2つ。もちろん1つは人間っすよね。そしてもう1つは宇宙。ウソ
っぽいけどこれは事実です。地球の大気に突っ込んできてコナゴナになった隕石の塵は、世界中に飛んでいき「ほ
こり」の成分になっているそうです。ということはあの灰色の「ほこり」って名の物体は、僕と星の屑ってことか
?現代化学は生命の起源が宇宙にあったことを認めています。人類ももとは星の欠片だったらしい。あなたの家の
ほこりは、あなたの体の一部がひっそりと宇宙に還っていく途中の姿だとは感じませんか?まとめてみるとそうで
しょう?どうやら「ほこり」はゴミなどではない、きっと宇宙のはじまりを意味する有機物質だ!
2003.04
とある大手出版会社の社長夫婦の子供…そのこの名づけ親はおかしなことに僕だ。なんて名誉なことだろう。現
在2歳くらい?だと思う。産まれたのがいつだったかあまり覚えてないので年齢はよくわからん。僕は「名づけ
親」という使命を果たすべく、この子に会う度にいろいろな人生の快楽の話を叩き込んでいる。チョコレート、
ビール、タバコ、ブラックジョーク、それにプリンス、キングクリムゾンなどなど…。意外にもキングクリムゾ
ンは2歳?の幼児に好評だった。もちろんビールの話もタバコの話もよく理解していないけど。ある日、僕はそ
の子に京都三条のダイソーで買ったクレヨン(¥100)をプレゼントした。まぁ予想はしていたがクレヨンが
何をする物なのかさえ分かっていない彼は、おもむろに口や耳やその他、顔の穴という穴に突っ込んだ。僕はク
レヨンを握った手を無理矢理に画用紙に持っていき、マルを描かせた。すると彼の頭の中で何かが覚醒したらし
く、その後得意気にその画用紙を絵とは言い難い線で埋め尽くした。きっとクレヨンの何たるかを悟ったんだろ
うね。たかだか石油系の蝋と顔料を棒にした「クレヨン」だが、子供の創造力と想像力を育む、とてつもないパ
ワーをもったものなんだな〜と感心した。クレヨンの何たるかを悟った子供達は、注文を出せば何でも描いてく
れる。褒めれば家中どこにでも落書きを展開する。オトン&オカンには迷惑な話だが、何とも素晴らしいことだ
と思う。ところでクレヨンで描かれた絵は世界中にどのくらいあるのだろう?何十億?何百億?何十兆かも?ケ
ネディーも、ブッシュも、フセインもきっとクレヨンで絵を描いたことでしょう。これはもうある意味世界平和
の為の兵器とは言えないでしょか?戦争になったらクレヨンを空からパラシュートで落す。きっと子供達は無垢
な笑顔を見せ、町中に落書きをはじめ、大人達は含羞の笑みを浮かべて子供時代の思い出にひたり、銃器などを
カラフルにペイント…そんなこんなで戦争に嫌気が指す!何てことにゃならんかな?
2003.04
今日、あるバンドに「バカ野郎」と言う言葉を使った。悪かったと反省してる。そのバンドの人にじゃなく、馬
と鹿に。一般的に「バカ!」と言われて頭に来ないヤツはなかなかいないと思うが、そんな些細なことであまり
怒るのもどうかな?と思った。何故か?「バカ」は「馬鹿」と書くけど、馬や鹿は大昔からグッとただ、こんな
屈辱に堪えてきたんだ。馬や鹿もそりゃ人間に比べりゃIQも低いだろうけど、そんなこと言ってたら、牛も羊
も犬も猫もと動物なんていろいろいる…虫や魚なんてもっと頭脳はないだろうし。でも実は「バカ者!」という
言葉、サンスクリット語の「バカーモーハ(bakaーmoha)」が語源で、ちょっと知恵の周りの悪い意味
で使われていたらしいです。しかもまた厄介なことに、中国の趙高というずる賢いエライサンが、秦の皇帝に、
馬だと言い張って、鹿を売り付けようとしたらしく、愚かな行い=「バカ」=「馬と鹿」ってなっちゃったそう
です。いわれなき屈辱に今日も耐える世界の馬と鹿…彼らの汚名は晴れる日がくるのか?僕は奈良に行く度にこ
のことを思い出し、鹿煎餅を彼らに御馳走してあげている。僕も「馬鹿」って言葉結構使うからね。
2003.03
洗濯というと、とても「日常家事」な仕事のように感じるが、ある意味「宗教的」な仕事だな〜と、ふいに思っ
た。この世界には対極する2つの面がある。「陰と陽」というのが有名だけど、他にも「水と火」「美と醜」な
ど数えきれない対極によってこの世は回っている。全てが始まりを意味し、また終わりを意味している。濡れた
ものと乾いたもの、汚いものと綺麗なもの、全てがαでありωである世の中の対極が見事なまでに「洗濯」とい
う家事の中には存在している。洗濯を通じて世界のオカン達は毎日「永遠の真理」の一端に触れているわけで、
「洗濯もすてたもんじゃねぇな〜」と感じた。そして少し話はズレますが「洗濯洗剤」、これがまたとてつもな
いものだということに気付いた。洗濯洗剤には衣類の汚れを落す「陰イオン活性剤」、水質軟化剤「合成第二リ
ン酸ナトリウム」、洗濯機を保護する「ケイ酸ナトリウム」などなど、漂白剤や発色剤、香料、本当に数えきれ
ないものが、ひと箱の中に入っている。これは人類の叡智の結晶とでもいうか、大袈裟だけど「奇跡の粉」だな
と思いました。しかも最近の洗剤は何やら、自然にもなかなかいい感じらしく「エコロジー」という面
にも気を
使って作られているようだ。たかだか300円の粉の中に「人類叡智」を見い出すことができるとは思っても見
なかったです。だけどよくよく考えてみると、洗濯や洗剤という行為以前に、「清潔を保つ」ということ自体が
人類の叡智の結晶であり、今後の人類発展の中で非情に大切なものである気がしませんか?遠い昔、人類は病気
にかかるのは、「神様からの罰」ってなことになっていたようです。しかし実は病気になるのは、日常生活の不
生精から起こることがわかり、人類は規則正しい生活を送り、可能な限りの清潔を保つようになったわけです。
現在、家も体も何もかもが意外にも綺麗です。きっと「汚ねえな〜」と言われる我が家でさえも、大昔の人類に
してみたら「とても清潔」でしょう。掃除洗濯という清掃行為自体が、「人類の叡智の結晶」であり、汚れるか
ら綺麗にする、綺麗にしてればまた汚れるという出来事自体の中に、世の中の真理があるわけです。じゃあこの
世界の、特に医学的な叡智は、歴代のオカンによる影響がでかいのか?わからん…。
2003.03
少し前の話になるが、衆議院選挙で初めての政党テレビCMが流れました。社民党と民主党のは傑作だった。同
じ政党にルーツがあるとは思えない対極さ。土井党首が出演した社民党は、駄菓子屋の頑固ばあさんに扮した彼
女が、店の商品を取り替えて欲しいとねだる顔黒コギャルに「変えません」と言い放つ!そして民主党は、既得
権に群がる男どもを前に、鳩山党首がやけに凄みのきいた顔で「変える」と言い放つ!で、この「変える」「変
えない」という二つのCMこそ、あの2000年という年の日本にふさわしい「哲学」を示していたわけです。
社民党の「変えない」という理念は、旧弊さだが、権力にすり寄らなければ、戦後政治と心中する滅びの美学の
まま静かに舞台を去っていけるだろう。むしろ「変えない」というのは、本当は旧来の政治システムの中で既得
権益と結びついた政治家と業者が一番言いたいセリフだっただろうと思う。民主党のCMに出てくるエグゼクテ
ィブな人達は、勘ぐるにITやシステム変革に抵抗する大企業・大銀行の無能な老害トップの雰囲気を演出して
いたのかなとも思う。しかし少し生意気ですが僕には「旧労組系依然むき出しな民主党の幹部」に見えました。
しかし未だに政界に蔓延るイデオロギーの枠での争い(?)というのは政策選択の明確さに欠けていて、見てい
るサイドからいわせてもらえば、よくわからんぞというのが本音かな。
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